渡辺音楽企画では、社会福祉活動の一環としてのイベント「歌の好きな仲間たち&津軽ひろ子ショー」の主催をメインに行っております。
「満 員 御 礼」
☆2008年9月10日に開催致しました、第1回「歌の好きな仲間たち&津軽ひろ子ショー」は、青森市長佐々木誠造様、老人クラブ連合会会長様、社会福祉協議会会長様はじめ、福祉に携わる皆様の全面的なご協力を頂き、また、入場券の配布にご協力頂きました、農協様、商店会様はじめ、たくさんの事業所様、商店様、そして、会場となりました、青森市民ホールの館長様はじめ、職員の皆様のお力で、満席という喜ばしい幕開けとなりました。これもひとえに皆様のお力があったからこそと思っております。
今後も、社会福祉に貢献すべく活動して参りますので、またの機会がございましたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。
また、満席のため、入場をお断りさせて頂いたお客様には、入場券に「満席の場合の入場制限あり」と記載しておりましたが、この場をお借りして謝罪申し上げます。会場の変更はございませんので、なるべくお早目のご来場をお願い致します。
次回は、来年、高齢者、身体障害者の皆様に来場のご負担にならない同時期に開催を予定しております。
今後も毎年開催するために、社会福祉にご理解のあるスポンサー様を募集しております。第1回の実績をご考慮頂き、この超満員になります社会福祉イベントを企業イメージの向上、自社のPR等にお役立てください。
スポンサー様決定後、そのスポンサー様との同業他社様の参加はご遠慮頂く事となりますので、ご希望の場合はお早めにご連絡下さい。
また、各自治体、企業様の主催イベント、慰労会、お得意様をお招きしてのイベント、後援会など開催にあたり、弊社タレント及び津軽ひろ子を起用してのイベントがございましたら、是非ともご用命下さい。
→お問い合わせ・ご依頼
<2009年開催予定イベント>
歌の好きな仲間たち&津軽ひろ子ショー
福祉活動の一環として開催されている津軽ひろ子ショーと芸能発表会のコラボレーションが実現!!
司会は、元津軽ひろ子ショー専属MCで、タレントの渡辺光祐が担当します。
あなたも津軽ひろ子と同じ舞台に立ってみませんか?発表会と思ってお気軽にご参加下さい。
※津軽ひろ子の意向により開催当日は、老人クラブ、身体障害者、母子・父子家庭、ボランティア団体の皆様を無料でご招待致しますので、それぞれの団体等より配布されます。その他、一般の方は、市内各地で配布しておりますので、設置店などで入手してください。
ゲスト:津軽ひろ子(日本クラウン)
司会:渡辺こうすけ(元津軽ひろ子ショー専属MC)
第2回開催:平成21年
開場: 開演:
開催場所:青森市民ホール(旧ぱるるプラザ)
芸能発表会:
歌がメインですが、民謡・踊り・漫才・漫談などを舞台の上で発表したい個人、団体、年齢、性別問わず
※内容(公序良俗に反する)によってはお断りする場合もございます。
参加費(開催協力費):<例>(予定)
個人・歌・2コーラスまで 8000円
個人・歌・フルコーラス 10000円
踊りなど、団体様(人数)により異なりますのでご不明な点はお問い合わせ下さい。→こちら
※参加費(開催協力費)は、ホールの使用料、照明、音響、印刷物、ギャランティなど諸経費に充てられます。
入場料(観覧のみ):無料
各福祉団体、ボランティア団体などを通じて無料の招待券を配布致します。 また、発表会参加者様にも無料の招待券を配布致します。
※配布団体決定後サイトに掲載致しますので、お問い合わせ下さい。
※一般の方は、無料入場券を設置している店舗などへ直接足を運んで頂いて入手してください。
主催:渡辺音楽企画(ジャッパエンタテインメント)
共催:NPO法人東京やさしさの会・渡辺真也後援会
後援:
券配布協力:社会福祉協議会・老人クラブ連合会・農協・市内商店・事業所・カラオケ教室・同好会・津軽ひろ子後援会・にゃんこ堂
入場券・パンフレットなど スポンサー様募集中→こちら
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津軽ひろ子プロフィール
本名:葛西ひろ子
出身地:青森県黒石市飛内
血液型:O型
好きな食べ物:魚料理
好きな色:白と紺
好きな言葉:風は小枝を動かし、心は人を動かす
趣味:魚釣り
レコード会社:日本クラウン
津軽ひろ子人生の歩みと福祉活動:津軽ひろ子は青森県黒石市に生まれる。ひろ子には2つ違いの妹がいました。5才の時三味線を引き歩いて門付け家業。
12才で両親を失い、ひろ子とたみ子は流れ歩いて大阪はかしまし娘の内弟子となり、厳しい修業が続く。ちゃっかり娘としてコンビを組み、妹たみ子と今お笑い界で活躍している敏江、冷児の敏江とひろ子の3人は大きな劇場に出るようになり話題の人となる。
そして4年後、敏江の結婚で解散。津軽姉妹として名前を変え、森繁久弥先生の推薦もあって歌謡界にデビュー、星野哲郎先生の作品で40数枚のレコードをだしたが売れなかった。昭和52年10月、妹たみ子は不治の病につく、病名心筋梗塞 腎臓 高血圧280、人工透析開始、7年間闘病生活ののち昭和58年7月16日意識を失い植物人間となる。40日間の看病のかいもなく8月25日、33才の若さでこの世を去った。
長い闘病生活、数えることのできない程の全国の皆様から寄せられた励ましの言葉、そして愛の献血。たとえ1分1秒でも長く生きてほしい・・・・・・。 幼いころから苦労しながら同じ夢を追い続けた姉妹、その妹たみ子は全国の皆様方から寄せられた、尊い愛の奇跡にむくいることができなかった。一輪の花は若くして散ってしまったのです。
津軽ひろ子には誰も身寄りがいない。幼い頃の両親との別れ、そして妹民子との別れ、 妹たみ子の短い人生を支え、力付け、励ましてくれた全国の今日までお世話になった大勢の皆様方に、姉ひろ子は亡き妹たみ子に代わって歌によって全国の皆様に恩返しが出来るものならば・・・・・・。妹たみ子の遺志を継ぎご奉仕したい、微力ではありますが、社会福祉に役立つものならば・・・・・・、それは姉津軽ひろ子に託された「人の命の尊さの心」であった。声の続く限り、力の続く限り、歌がこの世にある限り、お客様のいる限り、津軽のじょっぱりで明日に向かって唄い続けています。
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